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過労死概念の変遷
2011.12.09Friday
マツダの25歳男性従業員の自殺が過労自殺であるとして、両親が慰謝料など約1億1千万円の支払いを求めた訴訟の判決が2010年2月28日に神戸地裁姫路支部で言い渡された。両親は会社側が適切なサポートなしに男性に長時間労働させたことが自殺の原因と主張していた。中村隆次裁判長はマツダの過失を認め、約6400万円の支払いを命じた。
過労自殺を含む過労死という言葉は1990年代から話題になっていた。未だに過労死がなくならないことは日本社会の不幸であるが、現代では使われ方が変わってきている。このことは日本が特殊性から脱却したことを示している。
過労死の定義は以下の通りである。「過度な労働負担が誘因となって、高血圧や動脈硬化などの基礎疾患が悪化し、脳血管疾患や虚血性心疾患、急性心不全などを発症し、永久的労働不能または死に至った状態」。(厚生労働省「産業医のための過重労働による健康障害防止マニュアル」)。
しかし、前世紀に話題となった過労死は単に過重労働によって健康を害するという以上のニュアンスが込められていた。それは会社への忠誠心の高い会社人間が死ぬまで働いてしまうというものであった。これは外国人にとって理解不能なものである。普通の感覚ならば「働き過ぎて死ぬならば、働かなければいい」と考える。そのため、英語などの外国語では過労死を表現することができず、そのままKAROSHIと訳された。
このように過労死は外国人から見て特殊日本的な現象である。一方で常識的な日本人にとっても異常であることは変わらない。死ぬまで働いてしまう社蓄的な忠誠心というものは、特定世代や特定階層に限定される異常なメンタリティである。その点で国際的な比較から過労死を特殊日本的事情と位置付けることは正しいものの、日本国内において普遍化することは誤りである。
その後、日本社会は格差が拡大し、労働問題は深刻化した。生きることが大変なワーキングプアやネットカフェ難民にとって、会社に依存した会社人間は甘ったれにしか見えない。まさに働き過ぎて死ぬならば、働かなければいいだけである。
その代わりに新たなタイプの過労死が生まれた。ブラック企業の過重労働によって死ぬまで働かされるという形態である。たとえばトステム綾部過労死事件である。
これはトステム綾部の中田衛一氏が2001年に22才の若さで急性心停止により死亡した事件である。残業時間は月100時間にも上ったが、現場にはタイムカードもなく、リーダーが残業時間を記帳するという体制であった(宮本平一「福知山17年目の御報告」自由法曹団京都支部創立40周年誌『人権の旗をかかげて』2003年)。
ここでは過労死の被害者は決して会社人間ではない。企業の過酷な労務管理の犠牲者である。これは明治時代の女工哀史と同じ世界である。同じような状況は労働法に不備のある発展途上国にも存在する。ここにおいて過労死は特殊日本的現象ではなく、日本社会の後進性を示すものになった。
http://hayariki.net/eco/lixil.html
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